やってくれました山岸先生。第一部の終盤の大衝撃…!
ネタバレになるので何があったのかは控えさせて頂きますが…。
あいかわらずの山岸節でしたが、やはりあの衝撃は凄まじいってことで。この上位にランクインです。
しかしこの作家はなんと残酷なことをきちんと残酷に描けているのだろう。
なにもスプラッタな表現をしている訳でもなく、残忍な感情を剥き出しにした
漫画記号を使うわけでもない。
とにかく、淡々と残忍である。
漫画を読むときに私たちは、どんな展開が次に起こるのか期待してページをめくるわけですが、その実、どんな展開が次に起こるのか予め測り、それが実現されているかどうか期待して読む、というのが正しい言い方ではないかと思うときがあります。
予測通りの顛末にしてやったりと優越を感じるのが、己の幻想の擬似的な実現に擬似的に満たされるのが、それがエンターテイメントの正体の一つだろうと。
つまり、予定調和と呼ばれるものを肯定的に捉えるとこういう言い方になります。
フィクションの面白さというのはそういったある種の道化かもしれない。
しかし、山岸涼子は道化たちを飛び越えて読者の背後を取る。ことごとくこちらの幻想を打ち破いていくのです。
本作テレプシコーラはバレエという華麗なる舞台を据えながも、その舞台裏の薄暗い人間の本性をまざまざと描くのですが、その佇まいは極めて淡々としています。
淡々としている、無表情な悪意。無駄な主張の無い世界は私たちの自己投影をやすやすと受け入れるもの。
かくして読者は戦慄の幻想崩壊を追体験してしまうのでしょう。
奇をてらう為ではない、幻想が打ちのめされた現実へのカタルシスのための、残酷。
私たちは、挫折を供養する為に山岸涼子を読むのかもしれません。
彼女の残酷劇は荘厳な経のように神々しいのです。