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「LOVE MY LIFE」は飄々と一人称で語られる同性愛者の静かな物語だから、一読してそれが「差別」や「社会」と向き合った真剣なテーマを孕んでいるような印象は受けないだろう。物語は激昂する事もなく、号泣することもないまま、静かに進んでいく。その静けさがある種スノビッシュでクールな印象を与えないでもないが、優しさに満ち溢れた主人公のモノローグの微妙な「体温」みたいなものがそれを打ち消す。
冷たいつゆで食べる釜揚げうどんみたいな(?)微妙な温度感が心地良く、二度、三度と読み返させる作品である。
自分がマイノリティであることを恐れない人はあまり多くはあるまい。エッジな人々でさえ、みな意外に演出的で、決してマイノリティであろうとは思っていないのだ。そして、大抵の人は、マイノリティのリスクを避けるがために、エッジですらあろうとは思わない。
ライフスタイルなどと呼ばれる類の「趣味」や「嗜好」は、自分がマイノリティになる恐怖から比べると取るに足らないものだから、無意識の内に捨て去っていってしまう。世の中には「カミングアウト以前」の人のなんと多いことか。
一説には、職種や人種を問わず、人類の10人に一人は同性愛者であるらしい。そして日本ではおそらくその内の数人に一人しか、自分が同性愛者であることをカミングアウトしている人はいないだろう。差別されるし、理解して貰えない場合、男女問わずトモダチが減るからだ。人は皆、理解できないもの、自分と違うものに恐れを抱く。
やまじえびねは「LOVE MY LIFE」において、マイノリティを「理解できない人々」に向けて、やさしく飄々とした一人称で、恐れを抱かせないように、そっとマイノリティを語る。その語らいは、「理解できない人々」にとっても共感を呼び起こすようなデリカシーをもっている。この部分はそのままこの作品の完成度の高さを担っている。
「LOVE MY LIFE」にはもう一つの特長がある。主人公をはじめとして、登場人物たちが皆非常に強い自我と職業的な自信を持っている部分である。個人主義がいよいよ美徳とされ始めている今世紀において、彼女・彼達は自らの力で生き抜く術を身に付けていく。ただ単にマイノリティを悲観したり、不幸がったりすることなく、彼女たちは真面目に、自らが社会に欲されるように必死で努力していく。そんな彼女たちの生き方は、人種や性の差別、出身やならわしによる差別、全ての差別的社会にはがゆ
い思いをする人々にとってはもちろん素晴らしい人生の教科書だし、決してマイノリティとは呼ばれない全ての若者に対する積極的な生き方の提案でもある。肩幅がせまくて眉毛の下がった女の子の一人称は、やさしく生き方を諭してくれるのだ。
I love my life,
so why don't you love your life?
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