|
血が噴出したジョンにさらに3発撃ち込む。2発は肩に、1発はダコタアパートの正面玄関の窓ガラスを砕いた。
(余談である上に真偽のほどは明らかではないが、
CIAによってマインドコントロールされた犯人によるとする陰謀説もある。)
ジョンはほぼ致命傷だったが必死の思いでアパートのフロントまで歩き
「I’M SHOT! I’M SHOT!!」と、うめき、床に倒れた。
この声を聞いたフロントマンのジェイ・ヘイスティングスは冗談と思っていた。
なぜならジョンはビートルズ時代からオーヴァーなジョークが好きで
有名だったから。。。
しかし、すぐにヨーコがヒステリックな声で「ジョンが撃たれた!」と駆け込んできて現実と気付く。
ヘイスティングスはジョンに近付き、鼻に刺さっていたガラスの破片を取り除き、自らの上着をジョンにかけた。
ネクタイを外し止血を試みるが、何処を押さえて良いか分からないほどジョンの体は血に染まっていた。
ローズベルト病院に運ばれたときにはジョンの体は背中への2発の銃弾が
肺を貫通していて3発目の銃弾は左肩の骨を砕いていて、
4発目は大動脈と気管を切断していた。
ジョンの手術に立ち会ったローズベルト病院の医師はこう語る。
「どんな方法を使っても蘇生は不可能でした。
胸部に3箇所、背中には2箇所、左肩には2箇所の銃創がありました。
全身のおよそ80%の血液が失われてました」と。
時間は少しさかのぼるが、この日ジョンは最後のレコーディングの休憩中にプロ
デューサーのジャック・ダグラスにこんな話をしている。
「自分は早死にするだろう。残された人生は僅かだが、死ぬ覚悟はできている。 そして、自分の死後の評価はエルビス・プレスリーを超えるだろう」と。
【犯人チャップマンの角度から】
1980年10月チャップマンは雑誌「Esquire」の「John Lenon,Where Are You?」を読んでいる。内容はというと、ジョンレノンは労働者階級とは程遠く、牧場、大邸宅、いくつもの会社を所有していて銀行には1億5000万ドルもの蓄えがあるただの裕福な実業家に過ぎないというものだった。チャップマンにとってのジョンは口だけで愛と平和を説く偽善者にしかすぎなかったのだ。
1980年10月27日チャップマンは妻にこう告げている。
「ニューヨークに行ってくる。これで何もかも変わる。」
事件から一ヶ月ほど前の話だ。これだけでもチャップマンが計画的にジョンを殺害したことがうかがえる。しかし11月9日ジョン殺害を計画していたチャップマンは、その2日後には思いとどまり妻のいるハワイに戻り計画の全貌を話している。妻への愛が計画を思いとどまらしたらしい。…ほんまかいな?
しかし11月の下旬またも態度を変え再びニューヨークに向かった。
そして事件の前日12月7日チャップマンは落ち着かない様子でダコタアパートの前をうろついていた。前日で気持ちが高ぶったのか夕食後に売春婦を自分の泊まっていたホテルの部屋に呼んでいる。
12月8日午前11時頃に目覚め「ライ麦畑でつかまって」を購入し扉ページに
「これがオレのメッセージ」と書いた。その後、ダコタアパートのドアマンに
「今日はジョンに会ったか?」と尋ねている。その日の夜遅く、ショーン(ジョンの息子)と乳母ヘレン・シーマンが帰宅。(その時チャップマンは「今まで見た中で一番可愛い子供だ。」と話し掛けている。)ジョン殺害前に息子に接触…想像しただけでゾッとする話だ…。
そして10時50分、ダコタアパートに到着した車から先にヨーコが降り、その後
ジョンが降りた。チャップマンはジョンの背後から近付き、あの忌まわしい一言を言い放った。
「レノンさんですね?」
|